2016年3月28日月曜日

最後の最後は、子ども同士の言葉

3月26日の土曜日には、今年度最後の大会、キッズ・ハドルボウルが開催されました。

トーナメントの準決勝は、今年度の全国二位、草津リトルパンサーズと対戦しました。

春の BIWAKO CUP、秋の関西大会と西日本大会、そして卒業生壮行大会の桜カップでは決勝戦で、リーグ戦を合わせると、この一年間で6度目の対戦でした。過去5回は絵に描いたような大敗、豪快に負けました。

試合は、大敗したこれまでとは異なって、序盤から一進一退で進み、ハーフタイムを12-12の同点で折り返しました。後半に入り18-12と逆転する場面もあり、チームは一体感を増しました。
後には二本のタッチダウンを許し、18-25で敗れ、今年度最後のゲームが終わり、シーズン・エンド、6年生は引退の瞬間を迎えました。試合時間残り1分でゴール前1ヤードまで迫るも、相手の好守に阻まれた姿は、とてもドラマチックに映りました。

ゲームを通じて、7人の6年生には鬼気迫る表情が見られました。まもなく中学校に入学するこの時期、仲間との別れを惜しむかのようでした。互いに鼓舞しあう様子が印象的でした。双方向、多方向に交わされた技術的なアドバイスも的確でした。

コーチや大人の言葉も重要ですが、やはり最後の最後は、子ども同士、選手同士の言葉に優るものはないという実感があります。そういうチームづくりを目指すことがコーチングの基本、チーム・ビルディングの近道だと思いました。

2016年3月23日水曜日

コピーを作らない、焼き直しをやらないという心意気

チーム運営は年度ごとに更新されます。競技団体のスケジュールや学校暦がそうだからです。今のこの時期、年度末から年度初めにかけては、その準備期間です。
毎年毎年、金太郎飴のようにチーム組成ができないのは学生スポーツの宿命、運命、性(さが)。小所帯のチームであれば尚更です。
これまでのチームのコピーを作らない、前例踏襲主義に陥らない考え方は心がけたいものです。少し手を加えて焼き直しを狙うことも、できれば避けたい。これらを狙えば必ずチームのサイズやダイナミズムが縮小すると理解すべきと考えてます。
最初はまわりから理解されなくても、とんがった考えを持ち続けないと、バックグランドを持たない小所帯なんて吹っ飛んでしまう。そう考える方が自然だと思っています。大量卒業ショックの今、これまでからと同様、そんな心意気を忘れないでいたいです。

2016年3月19日土曜日

課題と向き合うマインド 「岩国米軍基地遠征の思い出」

関西小学生・初優勝の翌年、2011年は、課題と向き合ったシーズンでした。

小学校を卒業して中学生となった女子をどうにか試合に出させたい。
そのために実現したのが岩国米軍基地での大会参加でした。

学事スケジュールが異なるアメリカでは、参加資格13歳以下というレギュレーションがあると知り、夏からコンタクトをはじめて12月の大会に参加させていただきました。

このことについては、遠征を前に、スポーツライターの方が取り上げてくださいました。
(2011年11月11日付 日本経済新聞・夕刊「いまドキ関西」欄)


NIRSA(全米学内対抗レクリエーショナルスポーツ協会)が定めるルールを経験できたことは今でも貴重です。

フィールドが100ヤード×40ヤードと、JFFOルールの50ヤード×30ヤードよりかなり広く、使用するボールも日本とは異なり大きなサイズのものでした。パントも許されていて、スピンをしても構いません。
ファーストダウン獲得までは20ヤードを必要として、そもそも7人制なので戦術スキームも別です。スクリーンブロックもOK、試合時間も長く「アメフト的」。

当日は、日本ではあまり馴染みのないダブル・イリミネーション・トーナメントで行われ、大きな優勝トロフィーを手に帰ってきました。

地元新聞では、大々的に取り上げられました。今でも米軍海兵隊のホームページで閲覧できます。

(2011年12月9日付 THE IWAKUNI APPROACH)


基地内での「アメリカ体験」など、当時のメンバーとはたくさんの思い出を共有しています。
アテンドしてくださった日本人スタッフの方には事前調整からずいぶんお世話になりました。




圧倒的な強さを大量卒業で失い、レギュラー5人のうち4人を女子が占めるチームとなり不安なシーズンでしたが、公式戦においては、春はトーナメント準優勝、秋は関西ディビジョン3位という好戦績を収めてくました。

その原動力は、当時の厳しい練習を乗り越えた女子の「真面目さ」だったと思います。フラッグフットボールを競技として評価して、全力で取り組んでくれました。

この頃の女子は、翌年の2012年に 第一回 NFL FLAG 岡山大会でエキシビジョン開催の中学生女子で勝ち、正式採用された2013年には優勝してタイトルを獲りました。
また、続く2014年には一般女子で優勝、チーム名を全国に知らしめてくれました。

環境のせいにはせず、課題と真っ向から向き合い、変化に対応するマインド。これらが生まれ、育まれた時期でした。

この春、チームは7人の6年生男子が卒業、大量卒業と向き合うことになります。また新たな取り組みが始まります。

ないものはない。でもやる。

このあいだの休日の朝、伊丹市に隣接する都市を闊歩していると、小学校の校庭で少年野球チームが練習を始めるところでした。
お揃いのユニフォームを着た子どもの数は7人。大人9人とともにランニングや柔軟体操をしていました。
子どもの数より大人の数の方が多い!
細やかで丁寧な指導をされている様子が印象的でした。
私がフラッグフットボールのチームを立ち上げた05年、初練習に来てくれた子は7人でした。
教えるのは私一人。自分で始めたことなのに、とても緊張していた記憶があります。
今年度のコーチ仲間は私を含めて三人。それぞれの仕事の都合などもあり一同に揃う機会も限られました。
あまり好きな言葉ではありませんが、われわれはボランティア。
仕事や私事の優先も年齢が増えるとともに当然にあるわけで、一人で二十数名の小学生を相手にすることもありました。
それでもチームのスキルや質を担保したい。特に最高学年の6年生には結果を出させてやりたい。
解決のためのキーワードは「言葉」と「回転」でした。
言葉を上手に使って伝えて、回転数を増やして色んな機会や場面をつくって経験値を上げる。
つきっきりで教えたくてもコーチの数が足らない、天候やグランド都合で練習回数も限られている、それでも結果を出させてやりたい。
ないものは、ない。しゃあないものは、しゃぁない。でも、やる!
そう割りきって、環境のせいにせずに、現実を受け入れて知恵を絞る。
これや!と決めたら実行。
そして、何よりも信頼してもらえるよう、何か仕掛けや仕組みを考えること。
もうひとつ、子どもたちを信じること。
今年度は、そんな一年間でした。
そうして、ともに戦ってくれた6年生たちは、明日の日曜日と来週の土曜日に行われる大会を終えるとチームを卒業します。
最後なので、のびのびとプレーをしてほしいと思います。

2016年3月18日金曜日

少年少女アスリートの伸び代を保障したい

集団を競技志向に変革しようと決めたその日から、練習メニューやチームの仕組みはトップ層にいる子たちに合わせました。09年ごろからそうしています。
分厚いプレーブックやプレーのバリエーションを用意することよりはるかに重要と感じたからです
全員が活躍できるプレーをやる。
一人ひとりがプレー参加できるようにする。
凝った作戦、面白いプレーをやる。
これらとは決別して、シンプル、スピード、確率にこだわりはじめました。
競技として結果を出すための考え方は、無機質にとらえられがちで、勝利至上主義と混同されがちですが、そうではありません。
トップ層の正当な評価と伸び代の保障です。少年少女アスリートの育成をするなら責任があるわけです。
この考え方には、ただの掛け声や号令、精神論やハッタリは、これっぽっちも必要ではなくて、指導者のコミットがだけが求められているのだと思います。
日本一をめざすぞ!オーッ!
子どもたちとともに、声をあげたその日から、コーチは重荷を背負うわけです。
必要なことを実行したうえで、本当に実現しなければならなくなるわけです。
機会均等は尊い考え方ですが、これを競技に持ち込むと、トップが伸びない、これはトップの機会が失われることを意味します。
あるいは、トップが競技から去る、他の競技へ流れていくことになるわけです。

2016年3月16日水曜日

理想の競技者像を伝える

コーチは、子どもたちに、理想の選手像を示し、同時に、自らはどうありたいのかを話す必要があると思います。
また、チームはどこを目指しているのか、競技はどうあってほしいか、これらも詳しく伝える必要があります。
フラッグフットボールは、楕円球やフラッグといった、ふだんから見なれていない用具を使う競技ということもあってか、子どもたちの関心を引きやすい反面、遊びとの境目がなくなりがちだと感じています。
理想像を言葉だけで伝えるのは容易ではありませんが、これまで様々な仕掛けをしてきました。チームのノウハウ。
フラッグフットボールやアメリカンフットボールの映像を効果的に見せたり、実際に良いプレーヤーと会わせるなど、小さな仕掛けを考え続けました。
そのためには、失敗と成功を繰り返しながら、取り組んだことがあります。
所謂、企業秘密。

2016年3月15日火曜日

平等は不平等

持って生まれた先天的な能力を持つ子ども。
努力して後発的に能力を勝ち取った子ども。
潜在化した努力。人知れず努力している子ども。
顕在化した努力。目に見えて努力を重ねる子ども。
どの子たちも評価したいものです。
競技型のチームを運営すると決意した日からは、これら評価すべき子たちを優先、劣後させないことを決めました。
平等に起用して、平等にプレー機会を与える。
この考え方は、時に、競技志向の子たちの意志と伸び代を奪ってしまいます。
競技型チームの運営において、選手起用やプレー機会は平等にはなりません。
レクリエーションでは基本となる機会均等の原則は、競技志向を決意した時点から成立しなくなります。
能力を優先する潔さが求められます。

2016年3月13日日曜日

プレーブックの「間引き」

今年度は、シーズン当初から最後まで、子どもたちのプレーだけでやり抜きました。
春には関西の公式オープン・トーナメントBIWAKO CUPで高学年と低学年がともに二年ぶりの準優勝。
その結果によって、8月に横浜市の慶応大学日吉キャンパスで行われた、関東・関西 Champions Cupに関西第二代表として出場しました。
試合はボロ負けでしたが、とてもよい経験ができました。
新横浜へ向かう行きの新幹線の中で取り組んだことがあります。
6年生二人には、ずっと前からプレーブックを作らせてました。そのプレー数は半端なく増殖を重ねてました。
彼らは、そのすべてをかっこいいカードにして持参。その数は50枚を超えてました。二人分を合わせると100プレー超。小学生男子らしくて、それはそれでかわいいけれど。
新幹線の車中、二人と向かい合ってミーティングをしました。新大阪を出て名古屋までは腹ごしらえ。その後の小一時間をかけて。
彼らが使えると思っているプレーを5つ。さらに、こちらが見極めたものを追加で5つ。二人分をあわせて20枚を選んで、余ったものは全部、バッサリ間引いてやりました。
「ごめん、これ全部いらんわ」。
ここで選んだプレーだけで、関西と西日本を突破、日本選手権まで進んでくれました。
彼らの手によって作られたプレー。そして間引かれた後のプレーが機能。これには訳がありました。
あいつらわかってくれたかなあ。

5年前とのチーム比較

関西リーグを初優勝した5年前と現在のチームの比較です。
どちらの世代もチームの歴史に残る強豪。ダイナスティ。

ふたつの異なる世代のキーワード。

【Class of 2010】
ミーティング、映像、反復練習、練習“時間数”、ランニング、オプション、スピード、多彩、信頼関係、根性論、情緒的

【Class of 2015】
ふだんの声がけ、吟味、練習“回数”、パッシング、シューティング、シンプル、確率論、現実的

【共通】
責任感、欲求、フットボールの神様の存在、最後は「運」

いくつもキーワードが異なるのは、選手気質、練習環境、練習日程、そして競技レベル、などといった背景があってのことなのですが、
必要に応じてチーム運営に変化を持たせることは、私たちのような小所帯にとっては生命線のようなものだと思います。

タイムマシンがあれば、この二つのチームを戦わせてみたいです。どちらが勝ってもおかしくありません。

スーパー・プレーを見せないと、伸ばせない。


チームが、競技集団なのか、レクリエーションの集まりなのか。これらの違いをきちん示すことが指導者側に求められていると思います。

子どもたち、保護者、そして指導者は、これらをきちんと理解したうえで、集団を作り上げる力を持たなければ、方向性や軸を失いかねません。

最高峰の小学生フラッグフットボール選手が持つ、高い技術力、真剣な眼差し、スピードとクイックネス、迫力や放つオーラ。
これまでチームが歩んできた年月において、これらに気づいた子、そうなりたい子だけが、こちらを追いかけてきました。

子ども一人ひとりの成長や発達を理解する立場であると同時に、トップを目指す子たちの「トップなるチャンス」そして「トップになりたい気持ち」を失わせてはいけないと考えています。

小学生の低学年にはフットボールを楽しむ機会を提供する。
高学年ではトップを目指す硬派な仲間を尊重する。
今のチームづくりの理想としています。

2016年3月10日木曜日

DBが教えるクォーターバッキング

私のアメリカンフットボール経験はディフェンシヴ・バック、DBとしてのもの。
DBが描く理想のQB像は、もちろんあるけれども、クォーターバッキングを教えられるかどうかはまったく別のこと。
美しいスパイラルがかかったボールを投げる。なんというこの専門性の高い特殊技術。
私以外、ズバリ本職の方が、よっぽど上手く教えられると思います。
第一、子どもたちの方が格段に上手かったりします。子どもたちに勝てない。勝ててない。
でも、こちらには、パスを通すための能書きがあります。DBが教えるQB。
今年度は、春から伝え続けたことがありました。
点、線、球筋、球速、放物線、地上高、時間軸、確率、愛、そして、運。
今年度のQBは、チーム歴代最高のレイティングを記録してくれました。被サックは多かったけれど。
彼には厳しいことを言い続けてきましたが、卒業まで本当によくやってくれました。

2016年3月9日水曜日

勝つためには必要なパラダイム・シフト

フラッグフットボールチームを勝たせるには、ある程度、アメリカンフットボールを「忘れなければならない」。
そう気づいたのは今から5年前、いみじくも、関西小学生リーグで初優勝したシーズンでした。
優れたQBとRB、そして一発のあるWR、バランスの良いオフェンス陣が自慢でした。まさにリーグ屈指。
そのうえ、ほぼ年間を通じて、土曜の午後に加えて日曜・祝祭日は二部練習。
その頃の小学生チームとしては、日本で一番走り込んだチームだと思います。
スピードだけでなくトルクの効いた、まさに「走るチーム」でした。
プレーの組み立てはと言えば、ミスディレクション誘発型。ラン・オリエンテッド。
当時はコーチがハドルでプレー指示をする、ハドルコーチの時代。
プレーブックもゲームプランも時々のプレー選択もすべて私の役割。
その背景や根拠、拠り所のすべては、私のアメフト経験でした。
西日本大会の決勝戦では、後一歩のところで破れ、東京ドーム行き目前で子どもたちの夢が散りました。
子どもたちは泣きました。
親もコーチ仲間も、見ていた人たち、私以外の大人も泣きました。
原因は、私の「アメフト脳」でした。
これに気づいてからはというものの、自己嫌悪の毎日を過ごしました。
今でも当時のメンバーをのことを思い出すたびに、このことを引きずって生きているような感覚に陥ります。
チームにいた女子は、後には中学生と一般でそれぞれ日本一となってくれて、私のアメフト脳を改善してくれました。パラダイムシフトのきっかけでした。
今年度の小学生チームは、彼らが彼ら自身で組み立てて作り上げたプレーブック「だけ」で大活躍しました。
私のアメフト脳からの脱却、パラダイムシフト、その機会がなければ、
彼らを無用に制限してしまい能力を顕在化させられなかったのではないか、
彼らが繰り広げた自由で豪快なプレーは生まれなかったのではないか、そう考えています。
教えてきた子どもたちに教えられた。そういうことだと思います。

さらなるクラブチーム支援を願う

現在盛んに行われている小学校への展開と並行して、クラブチームへのさらなる支援を願っています。
競技振興には、グラスルーツの開拓や、既存クラブの高度化は欠かせないと思います。
わが国に、フラッグフットボールが紹介、導入されてから十余年。
もうすでに、次のフェーズに突入しています。

2016年3月7日月曜日

手づくりユニフォームの頃

10年前の記事。ここから1年間、子どもたちは手づくりユニフォームで試合に出ました。

この頃の気持ちを忘れることがなければ、少々のことではブレることはないと思っています。

すでに今は成人している当時の小学6年生たちが、このチームの礎を創ってくれました。なかなか勝たせてあげられませんでしたが、明るくてガッツある集団でした。








旧ブログより転載----------


手作りユニフォームが完成!

2006-03-12 23:29:23

初めての試合にむけて、ユニフォームを作りました。

昨日、フラッグフットボール教室を終えてから、梅田へ出向き、材料を購入。あらかじめ、超安価なTシャツを購入しておいたので、後は番号を入れるだけでした。

当初は、手書き(?)で書こうと考えていたのですが、画材屋で見た筆の種類の多さや、画材の多彩さに愕然。電器量販店に行って、パソコンプリンターでデザイン可能なアイロン転写紙を買うことに。

Tシャツの色が黒なので、本来は「カラー生地用」を手に入れる必要があったのですが、財布と相談すると諦めざるを得ず。不出来を承知で安価な「白・淡色生地用」を購入。そして本日、日曜日に加工を開始。午後3時過ぎから着手。休憩、食事をとりながら、完成は午後10時過ぎ。不器用もあってミスも多くて苦戦。なんとか、人数分は作ることができました。

「白・淡色生地用」のアイロン転写紙なので、文字が薄くなってしまいました。なんだか古着っぽくて、これはこれで味がある!と思うようにします。

子供たちが気に入ってくれるかどうか、甚だ疑問ではありますが、コーチからチームへのささやかなプレゼント、ということにしましょう!

難しかった!!!    


Winning Flag Football (Winning Youth Sports)

チームを立ち上げた翌年の06年には上部団体に加盟しました。
過去10年間のうち最初の3年はリーグ戦を負け越しました。
対戦チームに貢献するドアマットチームそのもの。何をやっても勝てない。
実は、コーチの仮説が間違っていということです。負ける原因を作ったのは大人でした。
そのころ、学習机をフラッグフットボールで埋め尽くし、負けた悔しさから夜中に目覚めて泣く。そんな子の存在を知りました。
ユース・スポーツを通じて勝つことの大切さを認識し、競技志向のチームを目指すきっかけになりました。
09年には初めて勝ち越してリーグ3位。以後は勝ち星先行のチームになり子どもたちに自負やプライドのようなものが根づくようになりました。
相手チームがいる以上、絶対はないわけですが、必ず勝つ方法はあると信じています。
これらから逃げずに向き合うのは、コーチの役割、大人の責任です。
競技志向かレクリエーション志向か。どちらも尊い考え方です。
どちらを選ぶかはチームの理念に因りますが、これらも深く関係するわけです。
戦績は日ごろのチームづくりの結果です。
少しずつ紐解いてみたいと思います。今思うと、毎年異なったものでした。
チームを勝たせる方法は必ず存在します。ただ、それだけを追い求めてきたことは、これまで一度もありません。
これからもありません。

2016年3月6日日曜日

理念

チーム目標とコーチング哲学。
そして理念について。
チームを創った頃の思いは色々あります。
当時からの目標や哲学は、けっして忘れないでいたいものです。
ただ闇雲にやったり、自分個人の実績づくりや余暇のために他人や集団を利用してはいけない。
そんなものは長続きしないし、望まれていない。
人から愛されないどころか、いずれ皆が離れて先細りするに違いない。
そう思うからです。
そもそも、そんなためにやってへん。
"Team Goals"
Be the National Champions
Be a Respected Team 
「チームの目標」
日本一になる
尊敬されるチームになる
めっちゃシンプル。
関西初優勝、西日本準優勝した10年。チームの子どもたちと共有した思いです。
実は、これら二つを同時にやることは今でも難しい。
"Coaching Philosophy"
Serving Local Youth Through Football Experience
「コーチングの哲学」
フットボールの経験を通じて少年少女を支える
これは、チーム設立当初からの思いです。
フットボールは様々なことを学ばせてくれました。これまでの自分の人生を支配し続けてている教え。
これらをどう正確に理解して、どのように子どもたちに伝え残すか。
これらのことを守り続けたうえで、追いかけ続けていることがあります。
チームを勝たせることです。
勝利至上主義とは一線を画したものという前提で、
また、競技とレクリエーションの狭間にあるものをよく理解したうえで、
少年少女スポーツに必要な考え方と信じています。
子どもたちが、その必要性を教えくれました。
"Winning Flag Football"
"Winning Youth Sports"
勝たせる方法は必ず存在する。
コーチである大人の仮説次第。したがって環境や人のせいにはできない。
つまり、すべて大人の責任。子どもたちは見ています。
これらすべてを全部ひっくるめたものが理念。普遍的な思い。
なかなか言葉にはできないものだったりします。

Shairing the Experience

Shairing the Experience.
2007年に来日、対戦した全米チャンピオンチームが日本の子どもたちを指導した際に掲げていた言葉です。彼らのおおらかさやマインドには感心しました。
2005年より他のブログサービスを利用して数年ほど運営、後には公開を止めていた「フラッグフットボール&コーチング」を再開します。
当時のブログを書き始めた動機と言えば、競技やチームの広報になればという程度のものでした。
また、そのころ広がりはじめていた「コーチング」という概念や技法へのアンチテーゼのような思いもありました。
次第に備忘録として機能するようになり、頭の中を整理するのに好都合で重宝しましたが、FacebookやTwitterといったSNSが台頭しはじめた頃からは、そちらへシフトして現在に至ります。
一念発起して小学生フラッグフットボールチームを創ろうと決意したのは2004年。準備を重ねてチームを立ち上げたのはその翌年。私が38歳だった頃でした。
そこから数えて丸11年。この4月にチームは12度目の春を迎えます。
一気に駆け抜けた四十歳代は、環境変化への対応の連続でした。チームも自分自身も試行錯誤の毎日で、多くの失敗やささやかな成功を経験できました。
そんな経験を共有して、フラッグフットボールだけでなく、少年少女スポーツ全体のために役立ててもらえるよう記録しておきたい。これがブログ再開の動機です。